1. >
  2. >
  3. 私がフリーランスになるまで
記事作成中
ブログ(趣味・日記)

私がフリーランスになるまで

私は最初からフリーランス志望というわけではなかった。実はフリーランスのバイクライターとしてデビューするまで紆余曲折があったのだ。ここでは、私がフリーランスになるまでの波乱万丈な人生をまとめてみた。

バイクに興味を持ち始めたのは母の再婚相手の影響

いま私は趣味のバイクに関する記事を書いて生計をたてているが、そのきっかけは母親の再婚相手である。6歳の頃母親が再婚して、ちょっと強面な人が父親になった。その人はいつもサングラスをはずさなかったのだが、見た目と違い私には親切にしてくれた。彼の趣味はバイクであった。今までの母親が連れてきた男性と違い彼は私にバイクについていろいろと教えてくれたのだ。彼は私にとってバイクの師匠ともいえる。バイクの基本的な手入れ方法や駆動部品の交換方法を教えてくれた。残念ながら、私がバイクの免許を取って数年後、母親と彼は別れることになった。バイクの基礎を教えてくれたあの人がいなければバイクライターとして私はいなかったので感謝している。いま何をしているのだろうか…。

県外に行きたいだけという理由で関西の某大学を受験

バイクに興味があった私は高校生にもかかわらず、世紀末風な長髪にしていたため、あだ名を「ドイル」と呼ばれていた。ちなみにドイルとはグラップラー刃牙・死刑囚編に出てくる脱獄囚である。確かにあの頃の私は若いわりにおっさん面をしていた。髪型だけでなく、髭もドイルっぽくはやしていたのでそういうあだ名で呼ばれても文句はいえないと思いつつ高校生活を送っていた。

やがて高校3年生になり進学か就職か選ぶわけだが、私は進学を選んだ。理由は単純。それは…県外でエンジョイしたかったからだ。だが、大学生活は私が思っていたよりもレポートやらなんやらで忙しく、なじめなかった。その上大学時代はメタルの演奏にはまっていたため、就職活動で自慢できるスキルは「メタルの早弾き」だけであった。就職活動では、「イングヴェイ・マルムスティーン並みにギターを早弾きできる」と面接会場にギターを持ち込んで面接官全員を大爆笑させた経験がある。そんな調子だったので、受けた面接は全て「慎重に検討をさせて頂きましたが、誠に残念ながら、今回は貴意に添いかねる結果となりました。」だった。

バイトで食いつなぐ日々

スキルが早弾きだけで就職できるほど世の中は甘くなかった。ちゃんと大学で勉強すればよかったと後悔の日々を送りながらバイトで生活をしいた。そんなある日、いい時給のバイトを見つけたのだ。それはバイクの店頭セールスと簡単なメンテナンスだ。私は昔、義父が教えてくれた技術を駆使して、バイクの簡単なメンテナンスなら「菅武彦に任せれば間違いない」というくらい熟達していた。バイクに触っているとノスタルジーに浸れると感じた私は、バイク好きを活かして何かほかに仕事ができないか日々考えるようになった。

そしてバイクライターになった

そこからさらに紆余曲折あり、私は人材派遣の社員として2年ほど会社員をした。収入はある程度安定したが、やはりバイクへの憧れは断ち切れない。また、安定したといっても収入はそれほど多くなく、副業にも興味があった。

そんなある日、私はスマホを触りながらある広告をタップした。「バイクライター募集!」という、非常にシンプルな内容のその広告が、バイクライターになるきっかけになったのだ。駆け出しのバイクライターとして仕事をしたのはランサーズだ。仕事と掛け持ちをしながらランサーズでバイク記事を継続して書いていると、ある日ライティングだけでなく、私をプロデューサーとして雇いたいクライアントから依頼があった。もちろん二つ返事で依頼を引き受けた。そこから仕事の幅がかなり広がり、会社員との二足の草鞋では満足しきれなくなった私は、お世話になった会社を辞める決意を固めたのだ。

今では、フリーのバイクライターとしてさまざまな媒体からの依頼をこなしている。今はバイクに夢中になれて、それが仕事になる時代である。何か得意なことを突き詰めれば人生100年はあっという間だろう。